No Dog No Life

脳出血の後遺症で脚を悪くしたステイホームなオヤジと2匹のワンコの Slice of Lifeです。

そしてワンコとの生活が始まった

10年前には、今日のように完全在宅で2匹のワンコたちと過ごすようになるとは夢にも思いませんでした。

 

2011年6月、大手広告代理店で営業の管理職をしていた私は、翌年から中国の合弁会社への出向を内示されていて、諸々準備を進めていました。

この年の3月11日に起きた東日本大震災は私の身の振り方というか、考え方に大きな影響をもたらしました。それまであまり環境の変化を好まない私は、英語がそこそこ出来たにも関わらず、何度も打診された海外勤務をのらりくらりとかわしてきたのですが、この未曾有の大災害に、動かないことが安全と思うのは間違いではないかと痛感。

その心境の変化が背中を後押しをして、大きな成長が見込まれる中国市場の強化という社の課題に呼応して、ついに異動人事を快諾したんです。

 

私が赴任したのは2012年初頭でしたが、まさかこの年が日中の関係が最悪に拗れること年になるとは予想だにしませんでした。

当時石原都知事尖閣列島購入の意思表明をしたことをきっかけに、日本が国として国有化を決定したことによって、中国国内で起きた反日運動の凄さは激烈でした。

社業もこの反日運動の影響で大打撃を受けまして、ストレスたるや半端なく、すんなり寝付けない夜の続く日々でした。

 

で。これが原因がどうか因果関係はわかりませんが。私は赴任して一年でくも膜下出血で昏倒してしまいました。この辺の細かい経緯は省きますが、日本から駆けつけた妻は医者から「意識は戻らないか、戻っても寝たきりになる可能性が大きい」と絶望的な宣告をされましたから、相当重篤な状態だったんですね。

 

でも。出血が一時ぴったり止まって、カテーテル手術が可能になりまして、その結果私は一命を取り留めて、いわゆる記憶や感情に後遺症の出る高次脳機能障害は全くなく済んだんです。

 

とは言え、右脚に機能障害が残り、杖をつかなくては歩けない体にはなりました。

1年のリハビリ期間を経て会社に復帰しましたが、足を引きずっての通勤はなかなか不自由なものがあり、もはや潮時と早期退社することに決めたのが、2015年のことです。

 

新しい生活。妻と子供が3人いますが、独立してひとり暮らしをしている長男以外は、みな在宅で、それぞれに会社に通勤しています。妻も有職

つまり日中に家にいるのはワンコ2匹と私の3人😀です。

サラリーマン現役時代に「モーレツ」な営業マンだった私は、家でご飯を食べることはまずなく、というより毎晩「午前様」が常態で、週末は接待ゴルフという生活だったわけです。

在宅時間は家族の中で最短でした。

 

そんな私に、在宅が基本という180度違う新たな日常がやってきました。

 

ワンコは、1匹は2008年に我が家にきた雌のイングリッシュ・コッカー・スパニエル。もう1匹は翌年2009年に迎えた雄のイングリッシュ・ゴールデンレトリバー

 

中国赴任が2012年の1月です。それまで3、4年は一緒に過ごしていましたが、二日酔いで息も絶え絶えする朝の散歩が唯一の触れ合いでしたから、初めて長い時間を2匹のワンコと過ごすことになったわけです。家族に比べると、ワンコたちとは密度の薄い付き合いしかしてこなかった私ですから、最初は何か遠い間柄というか、よそよそしい感じだったと思います。お互い。

 

ところが。ひとは環境に順応するというのは本当ですね。

 

あるとき気がつきました。テレビを見ているとき、友人と携帯電話で話していて切った後、お水をあげるとき。。。ワンコに話かけているではありませんか、自分が。

 

「同じようなひな壇芸人を並べてさ、ほんとに昼のバラエティは芸がないっていうか、制作費がないのか、ダメだよな。」とか。

「彼は、話が長いんだよね、整理能力がないんだろうなきっと。」とか。

「喉渇いた?」とか。

 

もちろん返事はありませんよ。😀

でも、間違いなくワンコとの距離は縮まったのだと思います。

 

ワンコたちと私のit's a small worldの始まりです。